【日々のこと】鬱の入り口に立ったとき〜「いためる」から「いたわる」へ☆☆

【本ブログは、筆者の経験に基づいて書いたもので、医師の診断とは異なる場合もあります。
ご自身の治療に関しましては、
専門家の指示のもとで行なっていただきますよう
お願いいたします】
ニコ
こんにちは、いそべ晶子です。
鬱のなり始めの場合、周りも、本人すら気づかないことがあります。
今までと変わらず一生懸命やってるのに、周りの人が「急に」厳しいことを言うようになった、とか、「急に」意地悪に感じるようになった、というとき。
それは、自分が頑張り過ぎて限界超えそうなとき、かもしれません。
そんな時にも、本人は、どうしてだろうと自分を責め周りに首を傾げながらも、余計に頑張ってしまうことがあります。
それこそ、実は息抜きのタイミングだったりします。ヤバイ状況から離れて休むとき。
周りは周りで、今までできてたのにどうしてだろう?と思って接するのですが、鬱になりかけていると、神経回路がオーバーヒートして指令がうまくいかなかったり、判断力が普段より相当鈍って決められなかったりします。
その結果、同じことをしているつもりでも、いつもより時間がかかってしまうことも。
かつて、わたしはいろいろ考え込む方で、周りとギクシャクすることもちょくちょくあったし、今思うと、そういう時は鬱の入り口にいたのでしょう。
自分のことに気づかないうちは、元気づけたり、励ましたりして、分からないうちに「鬱」の背中をうっかり押したこともありました。それも後から気づきました。
いまは、そうなる前に気づき、自分の時は自分に、お相手がある場合はその方に、休もうと声をかけるようにしています。
鬱は身体の不調にも表れることがあります。普段とは違う、長く続く不調を見過ごしてはダメ。心もカラダも、自分を傷めるのをやめて、積極的にいたわることを選ぶのがはじめの一歩です。
まずは、ふーっと深呼吸。
今日一日、どのように自分自身に慈愛の目を向けて過ごしますか?
感謝をこめて
douxnido いそべ晶子